ビデオ倫理協会と都内制作会社に家宅捜索
2007.08.24 Fri
具体的に、どういった作品の何が問題になっているのかが明らかにされていませんし、警視庁と家宅捜索を受けたビデ倫や制作会社、大手量販店からの発表もない段階ですので、今は何とも言えないと思います。しかし、昨年緩和したモザイク基準が問題になっていて、そうした基準に沿って面積が狭くて透明度の高いモザイクを使った全ての作品が、適切な画像処理をしていないと見做されて、今回の家宅捜索に至ったのは確かなようです。
こういう場合、捜索を受けた側、特に制作会社やビデ倫側は、判で押したように「表現の自由を侵害」「メディアの自主的な立場が云々」「行政権力の介入」だと反対声明を出すことが多く、今回に件に関しても、多かれ少なかれ、そうした動きが出てくると思います。しかし、社会の公共善や公序良俗、メディアが果たすべき社会的使命などを考慮に入れると、メディアサイドのそうした言い分は、社会全体に対しては勿論のこと、AVユーザーやコアなAVファンの間でさえ、そのままの形でまかり通るとは思われていないと思います。
AVに限らず、メディアが持ち出す上記のようなスローガンの多くは、どちらかというと業界の利害損得に立脚したご都合主義的な言い分で、逆に、メディアそのものが表現の自由を乱用していて、自主規制が出来ないという実情が明らかにされつつあります。
しかし、その一方で、猥褻だナンだという考え方自体が、時代に合わないような気がしてなりません。つまり、局部がどの程度見えるかを基準にして、画像なり映像なりが猥褻かどうかを判断すること自体、荒唐無稽な考え方だと思います。自主規制にせよ、お上からの通達であるにせよ、大切なことは、そうした性表現によって、国民を危機に曝すような反社会的な風潮を冗長させないということだと思います。そういう意味では、性器をモザイクで隠すか隠さないかは、大した問題ではないような気がします。
また、今回はAVの制作・販売側が法的な側面から問題を投げ掛けられた訳ですが、こうした問題は、実は見る側の問題も見過ごせないと私は思っています。少なくとも、AVを見たから、それに刺激を受けて何か悪いことをしてしまうようなユーザーでは、自主規制であろうと、お上からの規制であろうと、規制は厳しくなるばかりです。
実は、ビデ倫のホームページに各種の審査基準が掲載されているのですが、確かに、映像処理の部分に関しては、非常に曖昧に書かれてあって、この部分に明確な基準がないという批判は、その通りなのかも知れません。しかし、「(2) 法規範。社会規範及び性表現に関する作品の審査基準」や「(4)映像ソフト作品の題名審査基準」「(5)パッケージ・ジャケットに関する審査基準」を見ると、性表現が世の中に及ぼす影響を考慮して、反社会的な作品、公序良俗に反する作品は自主規制の対象としている旨、記載されています。私個人は、性表現のあり方としては、ビデ倫の審査基準に挙げられているような方向性でいいような気がして、モザイクの濃淡や性器の露出だけを問題視するのは、見当違いではないかと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?









