2007.04.15 Sun
先日、中学時代の友人と会いました。当時、吹奏楽部に所属していた私にとっては、年度末の定期演奏会のシーズンで、地元ケーブルテレビで放送されていた彼女たちは、演奏技術の面でも演奏会に来てくれたお客さんを歓迎するという面でも、本当によく鍛えられているように見えました。
そんな話に花が咲く一方で、当時の顧問がホームページを開き、ブログ形式のコラムを書いていると聞きました。正直、見たくなかったのですが、折角教えてくれたのに見ない訳にもいかず、恐る恐る彼のサイトを覗いて見てみました。
今の彼は、
クラシックの世界でプロの音楽家として仕事をしているのですが、彼のコラムには、
芸術史や音楽史の系譜、芸術哲学や美学の基本を踏まえていない、プロとして問題のある記述が数多く見られました。私の知っている彼は、彼の担当教科だった英語や音楽、そして吹奏楽の指導でも、
基本をみっちり仕込むタイプではありませんでした。このタイプの指導者に当たると、
生徒の力がばらけ、時間の経過とともに出来る人と出来ない人の差が広がっていきます。吹奏楽に関しても、うまい部員ばかりが幅を利かせ、そうでない部員の居場所がなくなっていきました。
私は参加しませんでしたが、中学卒業後、その先生が中心になって、市のバックアップもあって、彼の住んでいる街に市民吹奏楽団を作りました。それから何年もの歳月が過ぎているのですが、現在のそのバンドのホームページを見ると、活動内容や実績よりも
人間関係に問題がないことを前面に掲げたバンド紹介がアップされています。例えば、そのバンドが
特定の学校出身者のOBバンドではないこと、
設立当時のメンバーがほぼゼロであることを明言し、草創期の出来事が完全な過去として括弧で括られた形になっています。こうすることによって、バンドの在籍年数や音楽活動歴、年齢を問わず、誰でも気軽に参加できる風通しのいいバンドであることをアピールしています。
裏を返せば、
設立当時のメンバーが幅を利かせる時代が長く続き、そうした状態を改善し、名実ともに広く市民に開かれたバンドにする為に、
現在のメンバーと草創期のメンバーとの間に長いせめぎ合いがあったことを雄弁に物語っています。
発足時のメンバーは、その先生と私の同級生、そして先生の出身高校・出身大学のOBが主体でした。それ自体は、ある程度仕方のないことですが、いざ活動が始まってみると、市民バンドとは名ばかりで、
学校単位の上下関係やスモール・グループがそのまま持ち込まれ、長年に亙るメンバー同士の潜在的な対立が顕在化し、バンドが四分五裂したそうです。無論、メンバーの中には、
地元の学校と無縁の人もいたのですが、彼らには居場所が与えられず、メンバー同士の対立に嫌気が差して、退会者が続出したそうです。結局、こうした事態を収拾するため、
設立当時のメンバーが身を引くしかなかったというのが、このバンドの実情のようです。
設立時のメンバーとしては、もともとは自分たちが吹奏楽をやりたくて作った市民バンドだっただけに、市民バンドが名実ともに市民バンドになるために、彼ら自身がバンドを去らなければならなかったのは、なんとも皮肉な話です。このことは、
同じ趣味、同じ目的を持っているだけでは良好な関係は築けないという人間関係のい現実を如術に示した悪い先例に他なりませんでした。
当時のメンバーを知る私にとって、こうした事態は想像に難くありませんでした。バンド設立のエピソードも、色々なところから聞きましたが、彼らは
明らかに思い上がっていて、周囲に対する配慮や敬意を著しく欠いていました。特に、
常識的な信頼関係が出来上がる前に、演奏技術のうまい・ヘタ、音楽性や知識の有無などの問題、延いてはそれを介した人間性の評価にまで、ずかずかと土足で踏み込んでいく姿勢に危ういものを感じました。
そうしたルーツは、中学の部活にありました。私が卒業して間もなく、私の出身中学は、物心両面での顧問の超人的な努力で、
県内で名の知れた有力校になりました。そうした中、顧問の先生はOBを動員して指導体制を強化し、
下手な部員や練習をしない部員に対しては、休み時間、放課後、休日を問わず、部員全員でプレッシャーを掛けさせていました。こうした行為が
事実上の“イジメ”に変わるまで、そう長くは掛りません。
既にOBだった私にも、私と入れ違いで中学に入学した後輩を含めて、複数の後輩から連絡が入り、
「助けて下さい。できれば、先生と話して頂けないでしょうか?」と言って来ました。私は私で、先生の方から問題のある部員の話を聞いていたので、練習を手伝う振りをして、何度か先生と話し合いました。
とはいえ、
もともと私は彼の教え子ですし、彼に近い生徒でした。その上、
当時は10代後半のジャリでしたから、
30歳を超えた大人の彼と話しても、彼の理屈に丸め込まれるだけでした。今思えば、
「部活は強制ではない。やる気のない者は辞めればいい」という彼の持論はいかにも幼稚で、無責任を絵に描いたようなものですが、
当時の私に、それを指摘する力はありませんでした。
それでも私は、自分が現役だった頃から口にしていた
彼の持論がますます頑なになっていくことに違和感を覚え、
やる気のない部員が部活を去った後の問題に対して注文をつけました。
「確かに練習もせず、うまくもならず、他の部員に批判されてやる気がなくなったら、退部するしかないと思います。でも、
今、彼らに向けられた批判はイジメと紙一重で、
彼らが退部した後も確実に続きます。ですから先生は、部員を指導する顧問として、生徒を教育する立場にあるこの学校の教師として、
退部した人間に対する部員のイジメを止めさせて下さい」と。
この主張に関しては、当時も強い確信があったので、かなりしつこく食い下がりました。こうした際どい議論でも、彼と私には最低限度の信頼はしていて、少なくとも、私や私と一緒に現役時代を過ごしたOBに対しては、誠実に向き合ってくれました。しかし、後輩たちに対しては、
部活は生徒が自主運営すべきもので、顧問でしかない自分は最低限度の接点しか持たないとの姿勢を崩しませんでした。そのため、部内の人間関係は殺伐としていて、顧問と部員との間の風通しも悪くて、結局は顧問の先生と私との話し合いも、決裂してしまいました。
私に対する彼の答えによると、「
現状の彼らに対する批判はイジメではないし、
退部後のことを問題にするTomの言い分はお門違い。やる気のないヘタな人間が部内に居座ることは、やる気のある部員にとって迷惑千万で、それに対する
部員たちの批判は当然。
彼らが批判に晒されるのは自業自得。それに、
部員も自分も忙しくて、
辞めた部員どころではないから、
辞めた後のことなど構ってられない」ということでした。
彼の言い分は、一見筋が通っているように見えて、実は荒唐無稽で、肝心なところで自分に都合のいい言い分が多く見られます。
当時の私もさすがにヘンだと思いました。今思い返せば、プレッシャーを掛けたりせず、部長、副部長、担当楽器の責任者を交え、
やる気のない部員と顧問とで正面切って話し合い、練習態度等などに対しては注意を促した上で、
退部勧告をすべきだったと思います。しかし、当時の私は、そのことに気づかず、顧問の言い分を
論破する力はありませんでした。
こうして、後輩たちの一部は、その後ひと月もしないうちに部を去りました。ところが、その中の一人で、
菊池桃子と沢口靖子を足して2で割ったようなビジュアルの女子部員は、
彼女が中心になって辞めなくてもいい人を幾人も引き連れて退部したという理由で集中砲火を浴び、
そうした非難がどんどんがエスカレートしたそうです。
そのことを知ったのは、後日、
彼女のご母堂からお電話を頂いた時でした。自分の娘の年齢と大して変わらない10代後半の私との初めての電話で、ご母堂はこんなことを仰いました。
「・・・一ヶ月前から、娘が学校を休んでいるんです・・・」と。
驚いた私は、取るものも取り敢えず、彼女とご両親に会いに行きましたが、この時に見た
彼女とご両親の引きつった笑顔は、切なくて悲しくて、どうしていいか分かりませんでした。この件については、彼女の担任や学年主任がかつて私の先生だったこともあり、学校サイドから事情を聞かせて欲しいと言われ、出来れば彼女が学校に戻れるように、一役買ってもらえないかと頼まれました。実際、私の同級生や後輩も、彼女が学校へ復帰できるように、力を貸してくれました。
しかし、ここまで行ってしまうと、
結局は何も出来ません。それどころか、この件に私が一枚噛んでいることを聞きつけた後輩の一部が、軽い気持ちで
彼女が私の子どもを妊娠したなどという、いかにも女性らしいジョークを流布し、それが学校中に広まってしまいました。勿論、この噂については、彼女を学校に戻そうと頑張った先生たちが、責任を持って対処してくれましたが、一見して嘘だと分かるこの手の噂も、女性にとっては致命的で、男の私には計り知れないダメージだったようです。
今思えば、この年を最後に吹奏楽部の顧問だった彼がこの学校を去り、中学の教師そのものを辞めてしまったのは、この事件と無関係ではなかったかも知れません。校内の職員会議でも、彼は責任を追及されたでしょうし、教育委員会でも問題になったに違いありません。
現在、自宅で音楽教室を開いている彼のブログには、音楽のレッスンという形で、
教えるものと教わるもののあり方について語っている箇所があります。しかし、その内容を見ると、
この時のトーンと全く変わっていないのに驚かされます。
彼から見ると、
何かが出来ない人間は無能で怠惰だといわんばかりに、
「工夫が足りない、努力が足りない、やる気が足りない・・・」と欠点ばかりを論っています。私から見れば、
彼の方にこそ、教える人間として工夫や努力や責任感を欠いていて、
自分本位の音楽像やレッスン像しか見えず、相も変わらず、ナルシスティックにおごり高ぶっているのですが、それに気づかない彼は本当に幸せ者です。
彼が幸せなのは結構ですが、彼のサイトにリンクした
レッスン生の方々が、彼の話をありがたがって聞いているのには、胸が痛みます。彼に比べれば、何も知らないレッスン生が彼を持ち上げるのは無理もないのですが、それは必ずしも彼らにとって幸せなことではありません。
本当に音楽が好きなら、彼のコラムだけではなく、定評のある音楽家や芸術家の書いた音楽論や芸術論を読んで欲しいです。
彼の語る音楽が音楽の全てではないし、
彼の語る芸術が芸術の全てでもない。ましてや、
彼のレッスンが最良のレッスンとは限りません。
彼が国内屈指の音楽家でもなければ、最良の音楽指導者でもありません。事実、プロの音楽家と言っても、彼がプロの中に入ってタクトを振る力はありませんし、彼の作った曲が大舞台で名の知れたプレーヤーによって演奏されることもありません。
音楽界での彼に対する評価は、中学・高校の吹奏楽部や市民バンドの指導者レベルでしかありません。その指導者が、市民バンドのリーダーとして、恰もプロの演奏家を相手にするかのように、洗練されたクラシックや吹奏楽のオリジナル曲にこだわり、ポピュラー音楽やイージーリスニングなど、初心者でも与しやすいジャンルの曲を悉く排除してみても、メンバーはそっぽを向いてしまいます。
教え子の私から見て、
彼の決定的な悪癖は、自分を持ち上げてくれる人間が相手でないと、親身になって指導をしないということに尽きます。それ故に、
周りの人間が自分を持ち上げるように、色々なパフォーマンスをします。そういう意味では、彼のコラムは
周囲が自分を持ち上げるように仕向けるため呪文のようなものです。
吹奏楽の世界では、「呪文と踊り<
MIDIで聴けます>」(
Incantation and Dance composed by Chance,John Barnes,1932〜1972)という大変人気のある曲があります。彼の指導法は、将に呪文と踊りそのものなのですが、世の中にはその呪文が効く人と効かない人がいます。また、環境やめぐり合わせによって、効いたり効かなかったりします。
彼の呪文は、私が中学生だった頃は、とてもよく効く呪文で、70人を超える教え子たちが、彼の呪文のお陰で、普通では味わえない貴重な経験をすることが出来ました。しかし、時の流れとともに、彼の呪文は力を失い、教え子たちは呪文から解き放たれました。そして、私たちの代わりに彼の元で指導を受けるようになった生徒たちにも、呪文は効かなくなりました。そして、彼は学校を離れ、市民バンドという新たな世界で、50人の大人に呪文を掛けようとしました。しかし、彼はその呪文故に、市民バンドを追われたことは、先に書いた通りです。
今、彼の呪文にどの程度の神通力があるのか、私には知る由もありません。恐らく彼自身、自分の呪文にどの程度の力があるのか、身を持って知ったと思います。その彼は、今日も呪文を唱え続けています。彼の教室で、そして、彼のブログで・・・。
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